HIGHLIGHTS
目的と価値観
2024年
2024年のCARE’s – The Ethical Chef Daysにあたり、マルケージ1824はその新たな支援策として、ケータリング活動によってクリティカル、倫理的、意識的な消費モデルを生み出す機会をもたらす社会プロジェクト「PORTA PAZIENZA - Primisecondi e altri」にCARE's Social Responsibility Awardを授与しました。この団体の歴史は、ボローニャのピラストロ地区のCircolo La Fattoria内にピッツェリア「La Fattoria di Masaniello」をオープンしたことに始まります。2020年6月には、「PORTA PAZIENZA - Primisecondi e altri」に名を改め、オープンで受容的で支援的な社会づくりを目標に活動しています。
2022年
マルケージ1824がサポートする「CARE’s – The Ethical Chef Day」プロジェクトは、今年、新たな試みとして「CARE’s on Tour」を開催。イタリア各地を巡り、美食がどのようにサステイナブルになれるかを深く追求します。最初の開催地、ヴェネツィア(2022年10月14~16日)では、マルケージ1824が入念なリサーチの結果、Social Responsibility Awardをハメド・アーマディに授与しました。アーマディは、イタリアへの移民や政治的亡命者に仕事や人生の希望を与えながら、彼らの食文化を広めることを目的としたレストラン、オリエントエクスプレスを2012年ヴェネチアにオープンしました。
「CARE's Chef under 30」は、レストラン「Torre」と「CARE’s, The Ethical Chef Days」が協働して考案されたプロジェクトです。その目的は、世界各地の才能ある30歳未満のシェフを招いて出身国を象徴する料理をテーマにした特別メニューを考案することにより、持続可能な料理の原則を推進することにあります。
詳しくはFondazioneprada.orgをご覧ください
ラマザン・カート(1996年トルコ生まれ)は、イスタンブールのベイケント大学の美食学・料理学科卒。2016年から2021年まで、イスタンブールのNeolokalレストランのスーシェフとして勤務。その後、「Under」レストランの厨房で働くためにノルウェー、リンデスネスに移る。ラマザン・カートは、自身のサステイナブルなレストランをオープンすることを目指し、トルコ料理の味覚を探求し続けている。
カーダレン・ソヤルプ(1996年トルコ生まれ)は、イスタンブールのイエディテペ大学の美食学・料理学科卒で、現在、持続可能性とイノベーションの修士課程を専攻中。2019年、オックスフォードフードシンポジウムの若手シェフの奨学金を受け、2020年にはMADアカデミーの環境・持続可能性プログラムの奨学金を獲得。2019年から2021年までイスタンブールのNeolokalレストランにて、2021年と2022年にはノルウェー、リンデスネスの「Under」レストランにて研究開発に取り組む。彼女の料理への情熱は、自然と調和した新しい味覚を創り上げたいという願いから生み出されている。
マッテオ・タッチーニ(1992年イタリア、ローマ生まれ)は、世界有数のイタリア料理学校であるALMAにてマエストロ・グアルティエロ・マルケージの教えに基づく技術とスキルを習得。バルセロナのEnigmaレストランやTickets Bar、ロンドンのPollen Street Social、ローマのIl Pagliaccio、Pipero al Rex、Imagò、シドニーのMezzalunaなど、世界の一流レストランで修業を積んだ後、2021年にイタリアのボルツァーノに移住し、「ConTanima」レストランのエグゼクティブシェフとなる。
シモーネ・ベルフィオーレ(1991年イタリア、ジェノバ生まれ)は、イタリア、アラッシオのダイアナグランドホテル内「Diana Gourmet」レストランのエグゼクティブシェフ。新鮮な地元の食材を使ったジェノバ料理と地中海料理の自身の解釈を提案。すべての食品と資源を完全に使用するために、食品廃材の可食部を再利用し、生鮮食材の加工を減らした料理を特徴としている。ミラノのグアルティエロマルケージアカデミーを卒業後、commis tournantとなり、ポルトフィーノのベルモンドホテルスプレンディードのメインコース長を務める。2017年、ミラノのヴィクトル・ユーゴー通りとガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世のリストランテ・クラッコの厨房に従事。その2年後、パドヴァ県サルメオラのLe Calandreレストランで、シェフのマッシミリアノ・アライモと共に働く。2020年、リグーリア州に移り、ダイアナグランドホテルの「Diana Gourmet」レストランのスーシェフに就任、すべてのバッチの管理、調整、監督を担当し、ミシュラン星付きシェフ、イヴァノ・リチェボノと緊密に連携する。
レナード・ヨン(1988年生まれ)は工学を学びましたが、その後10年以上にわたり、食品科学に強い関心を抱いて料理に人生をささげてきました。独学で料理を学んだヨン氏は、2015年の「MasterChef Asia」第1シーズンでファイナリストとなり、今ではシンガポールで最も有望なシェフの一人と言われています。2018年よりシンガポールのミーレ社の専属シェフとして、料理教室の運営や新しいレシピの開発を行っています。
また、テレビ局Channel NewsAsiaの「For Food's Sake!」というドキュメンタリーシリーズを手掛け、食糧の90%を輸入に頼るシンガポールの食料供給が困難な事情について調査しています。ヨン氏は、料理への純粋なアプローチで、より栄養を意識した食品の選び方を新しい世代に伝え、刺激を与えたいと考えています。
フランチェスカ・フェレイロスは、2009年からリマ(ペルー)のシェフ、イヴァン・キシックの厨房で料理を学び、その後アメリカでシェフ、ニーヴン・パテルとのコラボレーションを展開しました。2015年にヨーロッパへ渡り、ジローナ(スペイン)のレストラン「El Celler de Can Roca」で職を得ました。翌年にはアジアのバンコク(タイ)で、インド人シェフ、ガガン・アナンドのチームに参加しました。ニッケイ料理(和食とペルー料理の融合)やチーファ料理(中華とペルー料理の融合)に興味を抱いたフェレイロスは、2018年にペルーに戻り、リマのレストラン「IK」のシェフに就任。そこで、東南アジアとペルーの食材や技術、伝統を組み合わせた独自のフュージョン料理を生み出しました。この若きシェフは現在、アマゾン原住民の協力を得て、ペルー料理の食材や古来の調理技術に関する知識を広げています。今後、彼女が研究するアジアとペルーの伝統をつなぐ料理を表現できる新レストランの立ち上げも計画されています。
Vusumuzi Ndlovuは、2000年にプレトリアのシェラトンホテル(南アフリカ)で料理を学び始めました。2012年、ケープタウンでシェフ Peter Tempelhofのチームに参加するとともに 南アフリカのナショナルシェフチームのメンバーにもなりました。2015年にヨハネスブルクに移り、「The Saxon」でシェフ David Higgsとともに腕を振るった彼は、フーフェルラントにある最高級ベルギー料理レストラン「In de Wulf」にスカウトされます。Vusumuzi Ndlovuはヨーロッパで経験を積んだ後、 ヨハネスブルクの「The Saxon」に戻り、長年にわたって身に着けた技能や手法、素材の組み合わせを生かして受賞に輝くダック料理を考案しました。また最近では、ヨハネスブルクの「The Marabi Jazz Club」で活躍しました。Ndlovuは、サンペレグリノ ヤングシェフ2018で、トップセブンシェフおよびアフリカ中東地区のナンバーワンヤングシェフに選ばれました。
Killian Crowleyはベルギーで勉強を始め、その後ルクセンブルクの「Clairefointaine」、ミシュランの3つ星レストラン「Le Louis XV – Alain Ducasse」、モンテカルロのオテル ド パリなどの有名レストランやミシュランの星を獲得したキッチンで修業を続け、グルメ料理に開眼しました。また、ブリュッセルの「Bon-Bon」ではChristophe Hardiquestシェフのアシスタントシェフを務めました。2016年には「Euro-Toques Young Chef of the Year」コンテストのファイナリストに選ばれました。2018年には「サンペレグリノ ヤングシェフ」イギリス&アイルランド大会にノミネートされ、ミラノで開催された世界大会の決勝ではイギリスおよびアイルランドの代表として出場しました。
世界各国のキッチンで修業を積んだ後、17歳の時にリマで指折りの高級レストランで働き始めました。ペルーのアマゾンの食材を再発見するため、この地域で2年間暮らした後、リマのレストラン「Malabar」で働いているときにPedro Miguel Schiaffinoシェフに出会ってその指導を受け、そこから農家との直接のやりとりによる持続可能な責任ある料理への献身が始まりました。Yarangaは28歳のとき、レストラン「La Niña」のスーシェフに着任、オーナーと協力して、季節の食材を使用すること、地元の食材を使用すること、および地元の農業および漁業従事者と協力することにリンクした倫理的ビジョンの策定に取り組みました。
マルティナは家族が経営するレストラン「Signum」において、父親の下でキャリアの第一歩を踏み出しました。最初はロンドンに移り住み、その後イタリアに戻って、星を獲得した「Open Colonna」(Antonello Colonnaシェフ)、「Pipero al Rex」(Luciano Monosilioシェフ)、2つ星のレストラン「La Torre del Saracino」(Gennaro Espositoシェフ)など、最高峰のレストランで経験を積みました。2016年には母国に戻り、サライナにある「Signum」で働き始めます。マルティナは、2016年に最初のミシュランの星を獲得し、最年少の女性シェフとしてイタリアの爵位を授けられました。
2015年にはモンテネグロに移住してレストラン「Palladium」のヘッドシェフを務め、その後ウクライナに戻りキエフのレストラン「Reef」、その後「Varburger Dnepr」に勤めました。2017年2月からは、オデッサのレストラン「Bernardazzi」のシェフを務めています。
2012年にはモスクワに移り住んで、最初にAdrian Quetglasのレストラン「The Garden」に勤めた後、Vladimir Mukhinの「White Rabbit」に移り、ここでスーシェフを務めました。ソチオリンピック開催前の2013年にはロザフトルに引っ越し、Vladimir Mukhinと共同で地域初のガストロノミックレストラン「Red Fox」をオープンしました。彼は世界屈指のレストランで経験を積みました。「Le Jardin des Sens」ではJacquesとLaurentのPurceli兄弟と共に働き、Massimo Botturaにも指導を受けました。Botturaは「Osteria Francescana」でのインターンシップに初めてのロシア人シェフとして彼を選びました。
15歳のとき、ミシュランの星を獲得したストックホルムのレストラン「Operakällaren」で初めて働き、コミシェフを務めました(2007~08)。2012年にはコペンハーゲンに移り住み、ミシュラン2つ星の「Noma」でシェフデパーティーを務め、René Redzepiと共に厨房で働きました(2012~13年)。その後ロンドンに戻り、Phil Howard率いるミシュラン2つ星の「The Square」でシェフデパーティーを務めました(2014~15年)。続いて、長年の友人であるレストラン経営者のMatt Emmersonと共に、ニューイントングリーンに「Perilla Dining」をオープンします。2017年には「Food & Travel」アワードの「Breakthrough Chef of the Year」を受賞し、「Young British Foodie 2017」アワードの最終選考にも残りました。また、『Forbes』誌の「30 Under 30 Europe 2018(30歳未満の30人 ヨーロッパ 2018)」に選ばれ、『CODE Quarterly』の年間「30 Under 30」の若手業界プロフェッショナルにも選ばれました。